ストックホルム
12月10日は、ノーベル賞授賞式の日です。今年は昨年と違い、日本人受賞者が1人もいないので、いまひとつ、我国では盛り上がりに欠けますが、ストックホルムでは今年も恒例の行事が催されていることでしょう。
『ニルスのふしぎな旅』の作者セルマ・ラーゲルレーヴがスウェーデン人として、かつ女性として初めて、ノーベル文学賞を受賞したのは、ちょうど100年前の1909年のことでした。女性には参政権すら認められていなかった当時の社会背景を考えると、彼女のノーベル賞受賞は、やはりものすごい快挙であったと、あらためて思うのです。
『ニルスのふしぎな旅』の中で、ストックホルムは、36章と37章で描かれます。とくに37章では、当時の国王オスカル2世を彷彿とさせる雄弁家の王様がスカンセン野外博物館に現れ、ストックホルムの歴史と成り立ちをとうとうと語ります。王様の話を聞いているのはクレメント・ラーションという老人ですが、実はニルスもそばでこっそり立ち聞きしているのでした。たしかに王様の話はおもしろく、ストックホルムの町がどのように作られ、発展していったのかがよくわかります。
スカンセン野外博物館には、スウェーデン各地から移築された古い民家が保存されています。左の写真はそのひとつ、クレメント・ラーションの故郷ヘルシングランド地方から移築されたボルネースの小屋です。下巻p.219のクレメントの説明によると、ニルスはしばらくの間、この小屋で生活していたみたいですね。
(2009年12月10日)
大きな館
NILSのページ、久々の更新です。今回はいきなりですが下巻に飛んで、52章「大きな館」が舞台です。
ヨーテボルイ出身のユダヤ人アウグスト・アブラハムソン(1817-98)が、甥オットー・サロモン(1849-1907)とともに、ネースの館の敷地内に手工教育講習所を開いたのは1872年のことでした。子どもたちに手仕事の大切さを伝えたい、その教え手を育成したいという目的で作られたこの手工教育講習所には、やがて世界中から受講者が集まるようになりました。日本からは1888年(明治21年)、当時の文部省の命を受けて、後藤牧太(東京高等師範学校教授)と野尻精一(文部省視学官、のちに奈良女子高等師範学校初代校長)が参加しており、彼らのネースでの体験が日本の「図画工作」の創設につながったとされています。
作者のセルマ・ラーゲルレーヴも、親しかった女友だちソフィー・エルカン(1853-1921)とともに、たびたびここネースで夏を過ごしました。ソフィーは、本の中で若主人と称されるオットー・サロモンの実妹にあたる人物です。セルマはオットーの命あるうちに『ニルスのふしぎな旅』を完成させたいと、後半部の執筆を急いだのですが、残念ながら間に合いませんでした。子どもたちの歌声により若主人が危篤状態を脱するという一場面に、作者の思いがしのばれるような気がします。
(2009年7月21日)
ラーゲルレーヴ生誕150年
今年2008年は、『ニルスのふしぎな旅』の作者セルマ・ラーゲルレーヴの生誕150年にあたります。
左上の写真は、ラーゲルレーヴの故郷、モールバッカに近い東エムテルヴィーク教会にある彼女のお墓です。墓碑にあるように、1858年11月20日が彼女の誕生日なのです。亡くなったのは、1940年3月16日と刻まれています。彼女が故郷のモールバッカをいかに愛していたかは、『ニルス』の49章「小さな屋敷」に、とてもよく描かれています
ストックホルムの王立図書館(左下の写真)では、今年生誕150年を記念して、「セルマ・ラーゲルレーヴ1858-2008...」という展示が行われました。『ニルス』の訳者としては、これを見逃す手はありません。この夏のスウェーデン訪問の目的のひとつは、この展示を見ることでした。左中央は、そのカタログです。表紙の写真、ほぼ中央に写っているのが、セルマ・ラーゲルレーヴです(1912年2月フィンランドのヘルシンキで撮影されたものだそうです)。
展示自体はさほど大掛かりなものではありませんでしたが、展示品のなかには、『ニルスのふしぎな旅』の手書き原稿もありました。1章の書き出しは、いまでも暗唱できるくらいに、スウェーデン語の原文も自分の訳文もよく覚えています。その部分の何か所か直しの入った原稿をまのあたりにして、私はすっかり感動してしまいました。涙があふれそうになったくらいです。また、彼女の自筆の手紙もたくさんのこっていました。手紙の内容も、とても興味深いものがありました。
この夏スウェーデンを訪れて、この展示を見られたことはもちろんですが、スウェーデンの友人たちと『ニルス』の話をするたびに、この名作を訳すことができて本当によかったという思いを、あらためて強くしました。『ニルス』のこと、作者自身のことを、もっともっと日本の皆さんに知ってもらえたらいいなあと思います。
(2008年9月17日)
エーランド島の続き
オッテンビーの王領地の北側、一般の土地との境に続くのが、左の写真の石垣です。この石垣は、領地内の鹿が一般の人の土地を荒らすのを防ぐために、国王カール10世により、1653年に作られました。
ニルスの物語では、この石垣の陰で、モルテンがハイイロガンのドゥンフィンと出会ったという設定になっています。恋に落ちたモルテンは、ニルスにうそをついてまでドゥンフィンを助けようとします。一方、ガンたちと旅をするようになってから、ニルスはいろいろと人助けをしてきましたが、この場面では初めて純粋に、自分の利益とは関係なく、この傷ついたハイイロガンを助けたいと思います。ドゥンフィンにモルテンをとられるのではないかと、やきもちさえ妬いていたニルスの心が、一瞬にして変化を遂げる実にいい場面です。
ところで、風の強いエーランド島では、昔から風車が活躍してきました。最近では、木造の古い風車にかわって、近代的な白い風車がふえているようです。「エーランド島は大昔、大きな蝶だった」という老羊飼いの話をニルスが立ち聞きするのは、風車の階段の下でした。今でも島のところどころで古い風車を見かけますが、壊れかけているものも少なくなく、左の風車は羽の部分がもうなくなっていました。(2008年5月3日)
エーランド島
カールスクローナを出発したアッカたち一行が、キツネのスミッレをまくために迂回したのが、バルト海の島エーランド島です。島といっても、今では本土のカルマルと橋でつながっているので、私たち人間にとっては、車さえあれば行き来は簡単といえるでしょう。
南北に細長い島の南端には、オッテンビーと呼ばれる王室の領地があります。その領地の最南端であり、エーランド島の最南端でもある岬には、〈のっぽのヤン〉と呼ばれる、スウェーデンでいちばん高い、高さ約42メートルの灯台が立っています。
最初に灯台が建てられたのは1785年ですが、その後、何度か建て直され、1948年には電気化されて現在に至っています。
灯台の展望台へは197段の螺旋階段を使って、のぼることができます。もちろん、私も頑張ってのぼりましたよ(ちょっと膝がガクガク、目がまわりそうになりましたが……)。でも、のぼってよかった! 上からの眺めは、本当に素晴らしいものでした。南にひろがるバルト海も、灯台のまわりでのどかに草をはむ羊や牛の姿も、北にのびていくエーランド島の東西の海岸線も、ゆっくり眺めることができました。
灯台の足元には、『ニルス』の物語の中でもふれられている大砲のほかに、左のようなオブジェが置いてありました。ニルスの足跡をたずねる一人旅の身の上としては、なつかしい旅仲間に出会えたようで、なんともうれしかったです。
いつかまた、オッテンビーを訪れてみたいです。
(2008年1月16日)
カールスクローナ
ユネスコの世界遺産にもなっているカールスクローナは、軍港の町。その基礎を築いたのは、17世紀の王様カール11世で、左の銅像の方です。北欧でいちばん広いとされるこの〈大広場〉におりたったニルスがからかい、怒らせてしまう銅像です。
銅像はニルスを追って、真夜中のカールスクローナの町を歩きだします。こわくなったニルスは、必死になって逃げようとしますが……。危ういところでニルスを助けてくれたのは、提督教会の前に立つ木像ローゼンボムでした(ローゼンボムの写真は、トップページのMini Galleryでご紹介しています)。こうして、銅像のカール11世と木像のローゼンボムのやりとりが始まります。
作者ラーゲルレーヴは二人のコミカルな会話の中に、カールスクローナの歴史や、海戦や造船に関わった人たちの偉大さを織り交ぜて描いています。訳していて、「本当にうまいなあ」と、しみじみ感じた場面です。
海洋博物館では、作品の中でニルスも感動する船首像をはじめ、船に関する様々な資料が展示されていて、とても参考になりました。 (2007年11月19日)
〈マグレ岩〉と角笛の伝説
ニルスはガンたちとの旅を続け、9章では軍港の町カールスクローナへやってきます。暗い夜空から町を見おろしたニルスは、はじめ、それがなにかわかりません。ふと〈マグレ岩〉の伝説を思いだし、いま下に見えている怪しげな景色も、〈マグレ岩〉みたいなものだろうかと考えてしまうのです。
さて、その〈マグレ岩〉は、ブレーキンゲ地方との境に近いスコーネ地方にあります。伝説によれば、この岩の下にトロルが住んでいて、年に一度、クリスマスイヴになると、ごちそうを要求するために、金の柱に支えられているこの岩を持ちあげるのだそうです。
〈マグレ岩〉から程近いトロッレ・リュングビー城には、トロルから手に入れたとされる角笛(杯になる)と笛(両側から吹ける)がのこっており、夏の間だけ中庭に面した窓に飾られて、一般の人でも見られるようになっています。もちろん、私も窓にはりつくようにして、中をのぞいてみました。写真も撮ったのですが、ガラス越しだったので、反射してしまって、あまりうまく撮れませんでした。うーん、残念。それでもともかく、伝説の宝物を実際に目にすることができ、立ち寄ってみて本当によかったと思いました。なによりも、この城は濠に囲まれた、とても美しい、趣のある館でしたから。
(2007年9月19日)
スコーネ地方は古城の宝庫
ニルスの故郷、南スウェーデンのスコーネ地方には、由緒ある古城や貴族の館が数多くのこっており、『ニルスのふしぎな旅』の中にも、そのうちのいくつかが出てきます。たとえば、トップページの写真でご紹介しているヴィットシェヴレ城は、3章野鳥の暮らしで、ガチョウのモルテンが子どもたちに捕まって、連れていかれたお城です。ニルスはひょんなことから、国民高等学校の生徒たちといっしょに城の内部を見学する羽目になり、先生の説明を長々と聞かざるをえなくなります。このお城は、現在も個人所有となっています。
左上の写真は、ニルスが1章で上空を通過するビュッリンゲクロステル城です。もともとは12世紀にカトリックの修道院として基礎が築かれましたが、その後紆余曲折を経て、17世紀に建て直されました。このお城にも今も人が住んでおり、中には入れません。
そして、左の写真が4章でネズミ退治の舞台となるグリミンゲ城です。グリミンゲ城についても、3章のヴィットシェヴレ城の場面で、引率の先生が建物の特徴を簡単に説明しています。ここは一般公開されており、見学が可能です。私は土産物屋さんで、記念にクマネズミのピンバッジを買いました。(2007年7月17日)
『ニルスのふしぎな旅』刊行に寄せて
このたび、『ニルスのふしぎな旅』をようやく形にすることができました。福音館書店編集部から「『ニルス』を訳しませんか?」と声をかけていただいてから、丸8年。その間、『ニルス』だけを訳していたわけではないので、実際、この本に費やした時間は正味4年ぐらいだったかもしれませんが、やはり今は大作をやり終えたという達成感で胸がいっぱいです。
『ニルスのふしぎな旅』がスウェーデンで最初に出版されたのは、今からちょうど100年前のことです。前半が1906年に、後半が1907年に出版されました。当時スウェーデンでは教育熱が高まり、「子どもたちがスウェーデンの地理つにいて楽しく学べる新しい本」が必要とされました。その書き手として、白羽の矢が立ったのが、すでに作家として注目されていたセルマ・ラーゲルレーヴ(1858-1940)でした。1909年にはスウェーデン人として初めて、また女性として初めてノーベル文学賞を受賞することになるセルマが、「教科書としてだけでなく、物語としても完成度の高いもの」をめざして何年もの苦労の末、まとめあげたのが、『ニルスのふしぎな旅』なのです。
人間の手のひらほどに小さくなってしまった少年ニルスが、ガチョウの背中に乗ってスウェーデン中を旅する『ニルス』の物語には、実にさまざまな魅力があります。この「ニルスのページ」では、私が訪れたゆかりの地の写真や翻訳のこぼれ話などを、随時ご紹介していきたいと思います。
さて、まず物語の第1章では、ニルスはトムテに意地悪をしたために魔法で小人にされてしまいますが、それはお父さんとお母さんが教会へ出かけて留守の間のできごとでした。左の写真は、ニルスの家があるとされる西ヴェンメンヘーイ丘の教会です。つまり、お父さんとお母さんがこの教会に日曜日の礼拝にきているときに、ニルスはモルテンと旅に出てしまったということになります。もちろん、ニルスは実在の人物ではありませんが、物語の舞台は現実に訪れることができます。ニルスの視点でスウェーデン各地を見てまわるのは、本当に楽しいものです。 (2007年6月13日)
*トップページのMini Galleryでも、ニルスゆかりの地の写真をご紹介しています。